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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)2772号 判決 1974年8月28日

控訴人(被申請人) エール・フランス・コンパニー・ナショナル・デ・トランスポール・ザエリアン

被控訴人(申請人) 浜中優子外二九名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人らの申請を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは、主文一項同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張および立証の関係は、左に附加する外、原判決事実摘示のとおり(但し、原判決八丁裏八行目「八月二一日」を「八月二日」と改め、一〇丁表四行目「大決定」を「大会決定」と補正し、また原判決添付別表中、平田マリ子、石沢玉枝及び佐古田恵美の三名を削除し、田中久子、田中万紀子、梅田信代、岩崎道子及び都解修子の五名については上記当事者欄表示のとおり各その姓を改める)であるから、これを引用する。

(立証省略)

理由

一、控訴人が航空運輸業を目的とし、フランス国法により設立せられた外国会社であること、被控訴人らが原判決添付別表のとおりそれぞれ昭和三九年四月二七日から同四七年一一月二〇日の間に控訴人と雇用契約を締結した日本人スチユワーデスであること、しかして右雇用契約は期間の定めのないものであり、又同契約においては「雇用地は東京、配属先は控訴人日本支社」(以下これを東京ベースともいう)とされていたところ、控訴人が被控訴人らに対し、昭和四八年一〇月三一日付の書面により、同年一二月三一日をもつて右契約を終了させる旨の解雇予告の意思表示をなすと共に、同書面により、昭和四九年一月一日発効の「雇用地をパリ、配属先を控訴人本社」(以下これをパリベースともいい、又前記東京ベースからパリベースへの移行をパリ移籍と称する)とする新雇用契約の申込をなし且つその回答期限を昭和四八年一一月二〇日としたこと、被控訴人らが右期限までに承諾の回答をしなかつたこと、以上の各事実は当事者間に争がない。

二、右によると、控訴人の為した解雇予告の意思表示は昭和四八年一二月三一日の経過と共に一応その効力を生ずることとなるのであるが、右各争のない事実からすでに看取されるように、本件解雇予告の意思表示は、通常のそれと異なり、被控訴人らにおいて控訴人の提示した新契約に応ずるときは雇用関係が実質的に継続するとの性格を有するものであり、換言すれば、右解雇予告の意思表示は、控訴人の採つたパリ移籍の方針に対し、被控訴人らがこれに従わないことを実質的な理由として為されたことを窺うに充分であるから、以下この観点より本件の事実関係を検討することとする。

まず、控訴人が本件パリ移籍の方針を採るに至つた経緯とその理由をみるに、各成立に争のない乙第三、第四号証、同第二二号証の一、同第三二号証の一ないし八、並びに当審証人ジヤツク・ドウシエンヌ及び同ルベール・ブルギエールの各証言を総合すると、次の事実を認めることができ、反証は存しない。

控訴人はその客室乗務員たるスチユワーデスにつき、かねてフランス人女性を採用してこれに充ててきたのであるが、国際路線の開拓に伴い漸次日本、ドイツ及びブラジルの外国人女性をも採用するようになり、日本の場合、昭和二五年に支社を開設し、同二七年に初めて日本人女性四名を採用するに至つた。ところでフランス人スチユワーデスについては、パリ本社で採用し、配属先も同本社とするいわゆるパリベースが実施され、正規の職員となり、又労働条件についても、同女らは、控訴人の唯一交渉団体であるSNPNC(フランス全国客室乗務員労働組合)に加入し、その労働協約の適用を受けて高水準の保護を与えられていた。しかし外国人スチユワーデスについては、現地支社が採用し、配属先も右支社とする外国ベースが実施され、身分も非正規の地方職員であり、又労働条件についても、各外国人で組織する労働組合(被控訴人らの場合についていえば、エールフランス日本人従業員労働組合)に加入するのみで前記SNPNCの協約の適用を受けず、しかも各外国ベース毎に取極められる労働条件は、右協約によるそれに比し、かなり低いものであつた。尤もこれら外国人スチユワーデスといえども、その勤務についてはパリ本社の運航本部の指揮命令下にあり、同本部の決定した編成、スケジユール等を受けた各支社の組分けに従つて航空機に搭乗し、機内においてはフランス人スチユワーデスと同じくパーサー等の監督下に置かれるのであるが、しかしその職務内容は、正規職員たるフランス人スチユワーデスの補助的仕事をするにとどまつていた。

ところが、その後国際路線の発展拡充に伴い、外国人スチユワーデスの採用数も増加し、昭和四八年一二月現在においては、控訴人客室乗務員(パーサー、スチユワード及びスチユワーデス)総数約四、〇〇〇名中、計約一〇〇名(うち日本人四二名)となり、又その職務内容も正規職員と同内容の仕事を要請せられるに至つた。それに伴い、日本人労組など外国人労組もその待遇改善を求めるようになり、一方SNPNCも亦、同組織が労働争議に突入した場合など外国人スチユワーデスが正規職員と同等の職務を行うことにより結果的にスト破りと同一事態を招くことになることを憂慮するあまり、外国人スチユワーデスについてもSNPNCの労働協約の適用を認めるのを得策とし、そのためには外国人スチユワーデス全員につきパリ移籍を実現することが必要であるとして、約一五年位前からこれを繰り返し主張し、遂に右実現のためにはストライキをも辞さぬとの強硬な態度をとるに至つた。

尤も控訴人自身としても、その頃すでに労務管理及び運航管理上の必要から外国人スチユワーデスのパリ移籍問題を考慮していたのであるが、右SNPNCの態度の硬化を契機として遂に控訴人も明確にパリ移籍の方針を決意するに至つた(その時期は昭和四八年五月頃と推認せられる)。なるほどそれは一面SNPNCとのトラブルを避けたいとの労組対策上の配慮に出たものといえるが、より根本的には、同一労働同一賃金の原則の完全実施、即ちフランス人スチユワーデスと外国人スチユワーデスとの労働条件を別異にしないためには外国人スチユワーデスのパリ移籍を必須とするとの考慮があつたればこそであるというに妨げない。控訴人としては、そのためには、外国人スチユワーデスをもSNPNCに加入せしめる要があり、そしてその前提手段としてはパリ移籍のみが唯一の方法であると考えたのであり、もしパリ移籍、従つてSNPNCへの加入なくして外国人スチユワーデスにSNPNCの協約と同等の保護を与えるときは、例えば休息時間等において現在にくらべ時間増となる反面厳格な時間の遵守が要求されることとなるため、これをそのまま人数の少ない外国ベース・スチユワーデスに適用すると、不時の差支え等の場合、スチユワーデスの編成、スケジユールの樹立、ひいては国際路線の運航そのものにも困難を来たす可能性があり、こうしたことからみて、外国ベースのままSNPNC並みの労働条件を実現することは困難であると考えたものと認められる。

結局、控訴人がパリ移籍の方針を採つた理由としては、労務管理及び運航管理上の叙上の如き情勢の変化に対応し、一方SNPNCとのトラブルを防止すると共に、他方増加し且つ高度化した外国人スチユワーデスをフランス人スチユワーデスと同じに直接本社において集中的統一的に管理し、その労働条件を均質化し、併せて国際路線運航の円滑効率化の実を挙げることを期し、そのためにこれらを実現する手段としてはパリ移籍のみが唯一の方法であるとの認識を有したことに由るものと認められる。

三、次にパリ移籍に関し、その内容、即ちこれが実現をみた場合の勤務状態や労働条件の如何をみるに、各成立に争のない乙第一、第二号証、同第一六号証の一ないし九、同第一九、第二〇号証、同第二二号証の一、同第二五、第二六号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第一二号証、並びに当審証人ジヤツク・ドウシエンヌ及び同鈴木儀一の各証言を総合すると、次の事実を認めることができ、反証は存しない。

(一)  前叙のように昭和四九年一月一日以降、雇用地をパリ、配属先を本社とするいわゆるパリベースの新契約に移行するとすると、このためには住居をパリに移すことを要し、又勤務も東京発・東京帰着からパリ発・パリ帰着の如くパリ中心のローテーシヨンとなる。但し日本人スチユワーデスの場合、その搭乗路線としては従来どおり主にパリ―東京間路線が予定されており、スチユワーデスという職業の特性上、時間的な意味での東京滞在日数に大差はない。

(二)  パリ移籍に伴い、当然SNPNCへの加入が考えられるから、その結果、フランス国労働法、SNPNC労働協約等の適用を受けることとなる。具体的には、

1  賃金が現在より増額し、昇給率も高く、且つパリ・東京間の出張旅費が二倍になる。

2  有給休暇の日数及び休息の時間が多くなる。

3  身分が正規職員となり、種々の資格取得や昇進等の途が開かれる。

4  定年が延長されるうえ、年金の支給がある。

四、最後に、パリ移籍の件に関する控訴人と被控訴人らとの交渉の経過をみるに、各成立に争のない甲第三ないし第五号証、同第一五号証、乙第二二号証の一ないし三、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一四号証、並びに原審証人小林靖夫、同谷沢紀、当審証人ジヤツク・ドウシエンヌ(一部)及び同鈴木儀一(一部)の各証言を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  控訴人との直接交渉前、SNPNCから日本人労組に対しパリ移籍協力方についての説得があつたが、同労組の了承するところとならなかつた(従つて、控訴人が交渉に入る頃にはSNPNCと日本人労組との間に原則的了解が成立していたとする控訴人の主張は採り得ない。)。

(二)  昭和四八年六月一四、一五日に開かれた春斗要求の団体交渉の席上、控訴人から初めてパリ移籍の方針が明示されたが、具体的協議には至らなかつた(なお右の席にはSNPNCの書記長が同席していた)。

(三)  同年六月二一日控訴人と日本人労組との間に春斗の妥結に伴う新労働協約が締結されたが、その末尾に「パリ移籍については、日本人労組との協議を経て最終的に決定される。」旨の特別条項が設けられた。

(四)  しかるに控訴人は、日本人労組との協議が未だ終了していない(むしろ未だ行われていないに等しい)にもかかわらず、SNPNCとの間に同年八月二日、パリ移籍に関する新労働協約を締結した。

(なお、右と前後して、ドイツ及びブラジルのスチユワーデス全員並びに日本のスチユワーデス数名がパリ移籍を承諾した)。

(五)  同年八月二八日より三〇日にかけてパリ移籍に関する団交がもたれたが、控訴人側の説明は簡単で且つ具体性に乏しく、むしろ右八月二日の本社決定を伝達するとの色彩の濃いものであつた。

(六)  同年九月一二日から三日間重ねてパリ移籍に関する団交が行われたが、控訴人側の説明はかなり詳細且つ具体的にはなつたものの、それはパリ移籍を既定の事実としたうえでの各種条件等の説明的傾向が強く、且つ日本人労組側の「九月二一日の大会決定まで最終意見を留保したい。」旨の表明に対する控訴人側の態度には明確を欠くものがあつた。

(七)  日本人労組は同年九月二一日の大会でパリ移籍の拒否を決定し、同月二五日控訴人側にこれを通告したが、控訴人は同年一〇月二五日パリ移籍強行の方針を示したうえ、同月三一日付で本件解雇予告の意思表示を為すに至つた。

右のように認めることができ、当審証人ジヤツク・ドウシンエンヌ及び同鈴木儀一の各証言中右認定に抵触する部分は、前掲各証拠と対比して採用することができない。

五、以上のように認定できるところ、控訴人と被控訴人らとの上記雇用契約において、その成立及び効力に関し日本国法に準拠する旨の合意の存することは当事者間に争がないから、控訴人は、わが民法六二七条及び労働基準法二〇条により、一応予告解雇を為す権利を有するものというべきである。

しかし、上来判示の事実関係によれば、控訴人の為した本件解雇予告の意思表示は、契約関係を完全に終了せしめる通常のそれとは異り、もし被控訴人らにおいて新契約の締結に応ずるときは、旧契約の終了と同時に直ちに新契約に移行することを前提とするものであり、しかも前認定のとおり、右両契約は、その雇用地及び配属先を異にする点以外は、その勤務内容等において本質的な意味での差異はなく、右両者間の決定的な相違点は結局するところ、被控訴人らのベースが東京かパリかという一点に帰着するものとみるのが相当である。

してみると、これを実質的に考察するときは、本件解雇予告の意思表示は、恰もパリへの配置転換命令に対する承諾を解除条件とする解雇予告のそれに等しく、換言すれば、右命令に応じないことに因る予告解雇と同一に論ずるのを相当とするものである(控訴人は、本件解雇はいわゆる一部事業閉鎖に基くものであると主張するが、前に認定したところによれば、控訴人のいう外国ベースの廃止は、当該外国支社自体ないし当該国際路線の廃止閉鎖を伴うものでなく、控訴人の事業の重要部分には何らの変更をも来たさないものであるから、右をもつて事業の一部閉鎖に該るとする控訴人の主張は失当である)。

ところで、企業における労働者の配置転換については、その雇用契約において配置場所が明定されている場合には、使用者は当該労働者の同意なくしてこれを配転し得ない(逆にいえば労働者は右配転命令に応ずる法的な義務を有しない)のを本則とするものと解すべきであり、従つて特段の事情があれば格別、然らざる限り、使用者が右の如き配転命令を発し、これに従わない労働者をそのゆえをもつて予告解雇に付するが如きは、通常、解雇権の濫用として無効たることを免れないものというべきである。

これを本件についてみるに、前判示のとおり、控訴人と被控訴人らの雇用契約においては「雇用地を東京、配属先を日本支社」とすることが明定されているのであり、しかも被控訴人らの職種がスチユワーデスであつていわゆる幹部職員ではないことからみて右文言を広義弾力的に解釈することは当を得たものとはいえない(尤も本件の如く国際的な航空会社に勤務するスチユワーデスについては、その企業自体とスチユワーデスという仕事の特殊性から、配置場所の観念ないし配置転換の意味合いについても、通常の国内企業の労働者の場合とやや異る面のあり得ることは考えられない訳ではないが、いずれにしても本件の場合被控訴人らが控訴人に対し、如何なる意味合いにせよ将来他国ベースになることにつき包括的な黙示の同意等を与えていたと認めるに足る疎明は何ら存しない)。従つて控訴人は元来被控訴人らに対し、その意に反して東京以外の地への配置転換を命じ得ない筋合であるにもかかわらず、控訴人が実質的配置転換を命じ、これに従わない被控訴人らをその理由で予告解雇に付したものとみるべきことは上述のとおりであるから、控訴人の右解雇予告の意思表示を予告解雇権の濫用とする被控訴人らの主張は一応理由があるものといえる。

六、これに対し控訴人は、本件解雇予告の意思表示をなすについては、パリ移籍が控訴人にとつて必要やむを得ないものであり、被控訴人らの拒否は合理性に乏しいうえ、被控訴人らは控訴人との交渉において不誠実であつた等の諸要因が作用していると陳述するところ、右は、前記配置場所の合意ある労働者に対しなお配置転換を命じ得る特段の事情の主張をなすものと善解し得るから、以下この点について順次判断を加える。

まず、控訴人のいうパリ移籍が客観的にみて真に必要止むを得ないものか否かの点を考えてみるに、前叙第二項に判示の事実関係からすると、控訴人が被控訴人らを雇用した時期以後の各種情勢の変化、SNPNCとの関係、同一労働同一賃金の原則、運航管理の効率化等の諸点からみて、控訴人がパリ移籍の方針を採るに至つたことについては、その心理はこれを理解し得なくはない。

しかし問題は、本件パリ移籍に、東京ベースを一方的に排除するだけの客観的正当性があるか否かにある。国際路線の発展拡充、外国人スチユワーデスの増員及び高度化の問題も、国際的な航空会社たる控訴人としては、被控訴人らの雇用時において絶対予見不可能な事態にあつたとはいえぬであろう。SNPNCとの調整関係も、今後新規採用する外国人スチユワーデス等についてはともかく、外国ベースの変更に同意し兼ねている既存の外国人スチユワーデスの既得権を排除するに足る事由とは認め難い。又同一労働同一賃金の原則についても、労働者の均等待遇という普遍的な法理(なお労働基準法三条参照)に立つとき、外国人スチユワーデスのSNPNCへの加入ないしその協約の適用の有無にかかわりなく、すでに今日までに実現せられていて然るべきものであつて、パリ移籍を必然的ならしめるものとはいい難い。更に運航管理の点についても、近時におけるコンピユーターシステムの開発発展等にかんがみ、パリ移籍以外に方法がないとすることは根拠薄弱である。

要するに本件については、外国ベースの全スチユワーデスをパリに移籍せしめなければ、控訴人の運航及び労務管理等その業務の遂行に重大な支障を生ずるとの点について、説明不充分というの外なく、これに、成立に争のない乙第六号証により認められる「BOAC、ノースウエスト(但し一部はシアトルベース)、スカンジナビア航空及びアリタリヤイタリヤ航空等の諸航空会社が現在も外国人スチユワーデスにつき外国ベース制を採つている」事実を斟案すると、本件パリ移籍は、被控訴人らの権益を一方的に排除するに値する客観的正当性を欠くものといわざるを得ない。

七、次に、被控訴人らの拒否の点をみるに、前叙第三項に判示したところによれば、控訴人の提示するパリ移籍後の勤務及び労働条件は一見むしろ外国人スチユワーデスにとつて有利なようにもみえる。しかし勤務に関しては、居をパリに移してパリ中心のローテーシヨンに入ること自体に後記のような問題があり、又労働条件については、結局SNPNCの協約下に入ることによるその向上に帰着するところ、前叙第六項で判示したとおり、本来労働条件の向上は右SNPNCへの加入によつてのみ実現されるべきものではないから、それはパリ移籍に特有の利点と称する訳にはいかない。

しかも眼を転じて被控訴人らの事情をみるに、原審における被控訴人本人浜中優子の供述により成立を認め得る甲第一三号証の一ないし三六によると、被控訴人らは二〇ないし三〇才代のおおむね独身の日本人女性であり、本件パリ移籍に応ずることとなると、東京ベースの契約で就職したにもかかわらず当然パリに住居を移さざるを得ず、その結果、日本国民としての公民権の行使に著しい制約を受け、生活の本拠が言語、習俗の異る地に在ることとなり、そのうえ結婚問題等にも影響のあることが明らかであり、又日本人労組を離れてフランス人主体の労働組合(SNPNC)に加入する点に一抹の不安を抱くのも無理からぬことであると認められる。

勿論被控訴人らは進んで国際航空を業とする外国会社に身を投じた者であるから、それに伴う特殊な勤務状態や労働条件等の生ずることは覚悟し、これに耐え順応すべき厳しさを要求される筋合ではあるが、しかし上記の如く本件パリ移籍は、単なる勤務状態ないし労働条件の変更ではなく、人の生活の本拠地を外国に移すという、人間にとつて公私、物心ともに根本的な事柄を中心とするものである以上、東京ベースで契約した被控訴人らが右移籍を拒否したからといつて、これをもつて合理性を欠くものとすることはできない。

八、更に、被控訴人らと控訴人との交渉経過につき考えるに、前叙第四項判示の事実関係によれば、被控訴人らを含む日本人労組の側に控訴人指摘のような不誠実な点はこれを見出し難く、むしろ控訴人側にパリ移籍の実現を期するの余り、日本人労組との話合いの姿勢に欠けるものがあり、しかも元来被控訴人らには右移籍に応ずる法的義務がなく、又右第四項(三)判示の如き特別条項があるにもかかわらず(尤も被控訴人らは右条項をもつて単なる協議義務約款ではなく同意約款と同一視すべきものと主張するが、文理的にもそのようには解されない)、控訴人が被控訴人らの主張に対応する別途次善の策の提案すら何ら為さないまま本件予告解雇に及んだことはいささか強引に過ぎるものというべく、パリ移籍問題の手続的側面ともいうべき右交渉経過の面においても、信義則上むしろ控訴人側に負因を見るものといわざるを得ない。

九、以上によると、控訴人が被控訴人らに対し、東京ベースの合意に反して為した本件配転命令(形式上は旧契約終了の通告と新契約締結の申込)につき、これを適法有効ならしめる特段の事情は遂にこれを認めることができないから、右配転命令の拒否をその実質的理由とする本件解雇予告の意思表示は、予告解雇権の濫用として許されないものといわなければならない。

一〇、本件弁論の全趣旨によれば、もし本件解雇予告の意思表示の効力をそのまま存置するときは、被控訴人らにおいてその生活上重大な影響を受けることが充分窺われるから、仮にその地位を定める必要性がある。

一一、如上の次第であるから、被控訴人らの申請は理由あるものとしてこれを認容すべく、右と同旨に帰する原判決は結局正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古山宏 西岡悌次 小谷卓男)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

1 被申請人が申請人らに対してそれぞれ昭和四八年一〇月三一日付文書を交付してした解雇の予告の意思表示の効力を停止する。

2 訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一 申請人らの求める裁判

主文同旨の判決

二 被申請人の求める裁判

本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は申請人らの負担とするとの判決

第二当事者の主張

一 申請の理由

1 雇用契約の成立

被申請人は航空運輸業を目的とし、フランス国法に準拠して成立した外国会社である。

申請人らは雇用地を東京、配属先を被申請人の日本支社とするスチユワーデスとして被申請人の日本における代表者である同支社長においてその期間を定めないで雇用した日本人であり、その雇用契約の成立の日は別表の記載のとおりであるが、外国会社である被申請人と日本人である申請人ら間の右雇用契約の成立及び効力に関しては日本国法によることとしている(準拠法の問題)。

2 解雇の予告の意思表示

被申請人は、申請人らに対し、昭和四八年一〇月三一日頃同日付文書を交付して、その雇用契約を同年一二月三一日をもつて終了させる旨の解雇の予告の意思表示をし、かつ、あらためてパリーを雇用地にしてパリー地区に配属される外国人スチユワーデスとして申請人らを再雇用することとする昭和四九年一月一日発効の新たな雇用契約の締結すなわちパリー移籍についてその申込をする旨及び右申込に対する承諾の期日を昭和四八年一一月二〇日とする旨を通知した。しかし、申請人らはパリー移籍の申込に応じないこととし、右承諾期日を徒過した。

3 解雇の予告の意思表示の無効

(一) 申請人らは、被申請人の日本支社に配属される日本人スチユワーデスとして雇用されたものであるから、当然のことながら東京及びその近辺に居住し、東京を基地として東京を発進し東京に帰着するスケジユールでその業務に従事しているが、被申請人の要求するパリー移籍に従えば、東京からパリーへ生活の基盤をそつくり移し、パリーに居住してパリー発パリー帰着のスケジユールで働くこととなる。しかもパリー移籍の要求は拒否すれば解雇という威嚇のもとでおこなわれている。

ところで申請人ら日本人スチユワーデスのパリー移籍に関する交渉経過は以下のとおりである。

(1) 昭和四八年六月一四日及び一五日の二日間にわたつて、被申請人の日本支社における日本人従業員の組織する労働組合であるエール・フランス日本人従業員労働組合(以下「日本人労組」という。)と被申請人との間において同年の春闘要求に関する団体交渉がおこなわれたが、その席上被申請人の本社人事課長ドウシエンヌは、フランスにおける職業別労働組合であるフランス全国客室乗務労働組合(略称SNPNC)の書記長バルビエがオブザーバーとして同席する理由について「一五年前からSNPNCは外国籍客室乗務員をすべてフランス籍に移すように会社に要求してきた。今回会社はSNPNCと協議した結果、全外国籍客室乗務員をフランス本国契約としてフランス人と同一の労働条件を与えるということで原則的合意が成立した。この問題の要求はSNPNCから出されたので書記長バルビエに出席を要請したわけである。」と述べ、ついでパリー移籍の具体的条件についての交渉を提案した。しかし春闘要求に対する会社回答がなさるべき団交席上における移籍問題の提案自体唐突であるので、申請人ら日本人スチユワーデスのパリー移籍の問題に深入りしないで終つた。同年の春闘は右の団体交渉で妥結したが、交渉事項で合意に至らなかつたものを継続討議するための再度の団体交渉が同年七月末に予定されたが、被申請人側はその際移籍問題に関しフランスにおける労働条件のすべてのインフオメーシヨンを与えることのできる専門家を送るとの提案をした。

(2) 同年六月二一日に新労働協約が春闘要求に基づいて締結されたが、その協約条項末尾に「乗員のパリー移行については日本人労組との協議を経て最終的に決定される。」との特殊条項がある。

(3) 同年七月末に予定された再度の団体交渉がようやく同年八月二八日から三〇日までにおこなわれたが、移籍問題に関し、インフオメーシヨンを与えるために本社からきた客室乗務員担当人事課員クシヤールの言明は、移籍後の労働条件に関するものではなく、移籍命令の通達であつた。すなわち「本日われわれがこの場に出席しているのは本社決定を正式に日本人労組に通知するためである。八月二一日に本社は日本人、ドイツ人、ブラジル人を含め全外国籍客室乗務員を一九七四年一月一日をもつてパリーに移籍させることに決定した。」といい、さらに「会社はこの決定を各乗務員あてに手紙で通知する。具体的には一九七三年一二月三一日をもつて日本における雇用契約が終了することを通知するとともに、フランスにおける新しい契約の締結を申し入れる。これを受諾する者には自己退職の、拒否する者には会社都合の退職金を支払う。期限までに返答のない者は拒否したものとみなす。これは本社決定だから取り消すことはできない。」といつた。これに対して「会社が一方的に移籍を決定したことは納得できない。各乗務員あての通知の発送はやめよ。この問題について権限ある会社代表者との交渉を要求する。」との日本人労組の要求が出され、被申請人側はこれを本社に伝えることに同意した。

(4) 日本人労組の右要求にもとづいて同年九月一二日から一四日までに団体交渉がもたれたが、実質的にはこれが唯一の移籍問題の交渉であつた。被申請人側からドウシエンヌが交渉権限を有する者として出席した。日本人労組は、臨時組合大会を九月二一日に予定しているので、組合の態度はその場で最終決定をするという立場を明確にしながら、被申請人側の意向をくわしく質した。ドウシエンヌは冒頭に「正直にいつて、本社の決定を白紙に戻せないとは思うが、方法を討議することはできる。」との意向を明らかにしたうえ、日本人労組の質問に答えて、被申請人の申請人ら日本人スチユワーデスに対する移籍要求の必要性と移籍後の労働条件、生活態様について説明したが、移籍の必要性は各国客室乗務員の諸規則の調整と運航上の必要との二点にすぎず、SNPNCの要求は二義的であるという。しかしいずれの理由も日本人労組側を納得させるものではなかつた。同労組の激しい追及のあと、被申請人側は「会社は日本人労組の組合大決定のあと、(イ)日本人労組の意向を受容、(ロ)拒否、(ハ)協議という最終決定を選択しなければならないが、労働協約中の協議条項は日本人労組の同意がなければパリー移籍を強行しないという精神であることは認める。」といいながら、「強行もありうるか」という質問に対しては「答えられない」とつつぱねた。

(5) 日本人労組は、同年九月二一日に臨時組合大会を開いてパリー移籍問題を討議した結果、出席した全客室乗務員を含め、満場一致でパリー移籍に反対する旨の決議をし、同月二五日に日本支社を通じて被申請人に右決議の趣旨を通告した。

(6) 同年一〇月二五日に本社の決定を伝えて、ドウシエンヌは開口一番移籍強行の方針ということであり、同日は団体交渉の予定であつたが、もはや交渉の余地はなかつた。

以上のような交渉経過のあと、被申請人の申請人ら日本人スチユワーデスに対する同年一〇月三一日付の前記文書が発送されたのであるが、すでに明らかなように、被申請人は申請人ら及び日本人労組との協議をしない以前に移籍強行の方針を決定し、これを承諾させるために交渉をしたにすぎないし、日本人労組が大会で態度を決定した以後(実はこのあとにこそ本来の交渉がなされるべきである。)はなんら交渉の余地がなく問答無用で解雇の予告を断行してきたのである。

およそ協議約款は単に労組との協議に付せば足りるというものではなく、信義則にもとづいて誠実かつ慎重に協議することが必要であり、実質的に同意約款と大差ないと解されている。この基準からいつて、誠実な協議を経ることなくただ移籍を強行しようという意図に出た本件解雇は前記労働協約の特殊条項に違反するものである。

(二) 本件各雇用契約は東京を勤務地とする契約に他ならず、国境を越えた配置転換を是認する事前の包括的同意が存したとは考えうべくもないから、被申請人の一方的決定である日本人スチユワーデスのパリー移籍を申請人らにおいて承諾すべき義務はもとより存しない。被申請人もこれを認識していればこそ移籍のために配置転換命令を発することをしないで、いつたん現在の雇用契約を終了させ、あらためて別個のパリーを雇用地とする新契約を締結しようとしているのである。要するに、本件解雇予告は、申請人らにつきなんらかの落度や欠陥があつたことを理由とするものではなく、もつぱらパリー移籍を強行する意図にもとづいて、実質的には応諾の義務のない移籍要求を拒否したことを解雇事由とするものであるから、解雇権の乱用にほかならないことが明らかである。

(三) パリー移籍によりこうむる不利益は申請人らにおいて忍受しがたいものがあるから、この点でも、移籍に応じないからといつて申請人らを解雇することは暴挙である。

すなわち、申請人らは二〇歳代ないし三〇歳代の独身の日本人女性であり、現在東京及びその近郊に生活の本拠を有し、多くは両親のもとから通勤しているが、パリー移籍後は家族より切り離され、異邦人として異国に放り出されることになる。言語上の不便、急激かつ決定的な風習・生活環境の変化は忍受しがたいものがあり、そのことだけで申請人ら大部分の者は移籍が不可能である。申請人らのなかには父母弟妹らの扶養をしている者もあり、パリー移籍はその扶養を困難にする。また申請人らには日本人として将来当然に日本人の配偶者と日本で結婚生活を送ることを考えるのが普通であるが、パリーでの常駐はそれだけ配偶者選択の機会を減じ、結婚後もスチユワーデスの職業を続けようとするものにとつて結婚と職業との両立を不可能にし、事実上婚姻の自由を阻害するか、結婚による退職をよぎなくされる。そして申請人らは生活の本拠をパリーに移すことにより日本における公民権の行使を制限される。さらに申請人らは女性としては比較的恵まれた職業に従事しており、特に近年労働組合運動の昂揚のなかでフランス人労働者と同等あるいはこれを上回る労働条件を獲得している。やがて数年を経ずして日本人スチユワーデスの労働条件がフランス人のそれを大きく上回ることが確実であつて、パリー移籍は賃金を初めとする労働条件の上でも申請人らに不利益をもたらすのである。

(四) 被申請人は、パリー移籍の必要性・合理性に関し、(イ)同一労働同一賃金の要請、労働条件の公正化の要請(ロ)運航上の必要性の二点をあげるが、右(イ)については、要するにSNPNCが年来強く主張しているからやむをえないのだということのみであり、特に労働条件統一の要請が何故パリー移籍に結びつかなければならないかについての論理が欠落しているし、右(ロ)についても、何故のコンピユーター管理なのかその理由もまつたく首肯しえない。

被申請人は本件解雇の正当事由として被申請人の日本における客室乗務員部門の事業閉鎖を云々するが、このような事業閉鎖の用語はいままでの団体交渉の席上にも、申請人らに対する通知中にも現われなかつたものである。通常一部の事業閉鎖という場合には、当該閉鎖部門における物的設備の消滅、経営活動の継続不能等により労務の提供及び受領が不能となつた場合をさし、これに伴う解雇については、閉鎖の動機、帰責事由の有無、他部門への配置吸収の可否、その他の事情を考慮して解雇の正当性如何を判断することとなる。ところが本件においては、被申請人が再雇用を申し入れているように、労務の提供及び受領が可能であることは従前と変らないのであるから、被申請人主張のいわゆる事業閉鎖は全く観念的操作にすぎず、到底本件解雇の正当事由たりえないものである。

以上((一)から(四)まで)に述べたところにより、本件解雇は解雇権を乱用したものとして無効である。

二 被申請人の主張

1 外国人客室乗務員の雇用状況

(一) 申請の理由1及び2記載の申請人らの主張事実は認める。

(二) 航空機により国際間の運輸事業を経営することを目的とする国際航空会社はいずれも自国以外の外国においては営業所を設けあるいはその外国の人をスチユワーデスに採用して旅客のサービスをはかり業績の向上を期している。被申請人には現在約四〇〇〇名の客室乗務員がおり、そのうち外国人スチユワーデスは日本人、ドイツ人及びブラジル人あわせて約一〇〇名がいる。これら外国人スチユワーデスは、当初はフランス人でフランス国民間航空法に基づき職業的乗務員として公認されたものすなわち正規のスチユワーデスの補助的地位にあつて、言語、風俗、習慣の異なる国の旅客のサービス業務に従事するものであつたので採用人員も限定されていたが、近時外国航空路における旅客の激増及び路線の拡大に伴い外国人スチユワーデスの採用増をきたし、被申請人においても昭和四九年一月以降外国人スチユワーデスとしてアラブ人一〇〇名、中国人一五名及び日本人四五名の採用増員が予定されている。

(三) これら国際航空会社においては、外国営業所の地上職員は大部分現地採用制をとつているが、スチユワーデスについては大手の半数以上が会社所属の本国をベース(基地)とする雇用契約を締結している。現在被申請人の外国人スチユワーデスはその所属国における被申請人の支社又は営業所をベースとして採用され、賃金その他の労働条件はそのベースごとに独自の取極がなされてきた。しかし被申請人においても路線の拡大、客室乗務員の大幅な増員に対応し、適正円滑な事務運営のためには外国人スチユワーデスを含めた全客室乗務員の配置、チーム編成等勤務のスケジユールにつき集中管理が不可欠の事態となつている。

2 外国人客室乗務員のパリー移籍

(一) 沿革

被申請人の従業員のうち客室乗務員(スチユワーデス、スチユワード及びパーサー)の労働条件については、フランスにおける航空機の客室乗務員の職業別労働組合であるSNPNCとの間に締結された労働協約に従つているが、同じ被申請人の従業員でありながら外国人客室乗務員の労働条件については前記のとおりその所属国ごとに独自に決定されてばらばらなのが現状である。その不合理を早くから指摘して、SNPNCは外国人客室乗務員が被申請人の正常な乗務員構成に一体化されたのちにおいてはフランス国籍客室乗務員の享受する労働条件はすべて外国客室乗務員にも適用すべきことを数年来強く要求してきており、そのためには外国人客室乗務員の所属基地(ベース)をフランスにおくことによりこれに対して全面的にSNPNCとの労働協約を適用させるのが唯一の手段であるとして、同一労働同一賃金の原則を実現するため、そしてSNPNCが総力をあげて賃金その他の労働条件の改善を要求して争議行為に入つているとき外国人客室乗務員部門が結果的にはスト破りをおこなつているような事態をなくすため、外国人客室乗務員のパリー移籍を実現することとし、あえて争議行為に訴えるのも辞さぬ決意をしばしば表明するにいたつた。

同一労働同一賃金の原則は、国籍の如何を問わず、これを実現すべきであるとの要求が日本人客室乗務員からも、そして労働後進国からも強く打ち出されてきたこと、パリー移籍がいよいよ不可避的問題となる事態にいたつて、SNPNCと日本人労組との間においても協議がもたれてパリー移籍につき原則的諒解があつたものと理解されたこと、及び大手の国際航空会社の多くが外国人客室乗務員の採用にあたつて会社所属の本国を基地としている情勢であることなどを背景にして、被申請人は昭和四八年八月二日にSNPNCに対して全外国人客室乗務員のパリー移籍の実施を約諾し、その協約が昭和四九年一月一日に完全に発効するものとした。すでにドイツ人及びブラジル人の客室乗務員のパリー移籍は完了したが、日本人スチユワーデス四二名のうち申請人ら三三名が移籍を応諾しないでいる。

(二) 移籍の必要性

申請人ら日本人スチユワーデスは被申請人の日本における代表者すなわち日本支社長が採用した被申請人のいわゆる現地職員又は地方職員に属するが、その業務の遂行についてはすべてパリー本社運航本部の指揮命令下に入り、直属の上司である日本支社東京国際空港支店客室乗務員課長が運航本部の決定するスケジユール又は編成に応じてスチユワーデスの組分けをするだけであり、機上における業務については日本支社の管理から全く離れてしまつている。このような形態は外国人スチユワーデスの採用が現地支社の地上職員の採用より遅れて始まり、その人員がきわめて少数であつた(ちなみに、昭和二五年に日本支社が開設され、昭和二七年に最初の日本人スチユワーデスが四名採用された。)ことによるものである。

したがつて、外国人スチユワーデスがフランス人の正規のスチユワーデスの補助的地位にとどまつている間はそれほど問題はなかつたが、近時各国旅客の激増及び路線の拡大に伴い外国人スチユワーデスの採用数が漸増して正常な乗務員構成に編入され、均一の業務に同一の指揮命令下に従事するようになつたのちにおいては、同一機内に雇用条件の全く異なるスチユワーデスが同じ労働に従事するという好ましくない状態が拡大され、その編成がいよいよ困難となることはきわめて明らかである。外国人スチユワーデスの右のような勤務形態の統一をはかろうとするのがパリー移籍なのである。すなわち被申請人における全客室乗務員部門をパリーに集中し統一することは十分合理性がある。これにより同一労働同一賃金の原則の適用、その他勤務に関するすべての法規が均一に適用されることが可能となり、複雑困難な客室乗務員の勤務について運行計画の立案、運行業務の円滑かつ適正な運用が可能となり(パリー・オルリー客室乗務員センターには、四〇〇〇名からの客室乗務員を円滑にかつ協約違反にならぬように勤務につかせるためにそれを運用するに足る下部組織と時計のように正確なメカニズムを必要とするすべての条件が整備されている。)、さらに唯一団体交渉の主体であるSNPNCの外国人客室乗務員のパリー移籍の要請にも応じられることにより移籍問題に起因する争議行為を未然に防止しうることなど、全外国人客室乗務員のパリー移籍の必要性を首肯するに足る。なお、SNPNCとの労働協約の適用の対象となる客室乗務員はその主な所属基地がフランス本国又は海外県にあること、及びフランス国籍を有するかまたはEEC加盟国の者もしくはフランスの法規に定められた外国人雇用条件を満たす者とされており、現在の日本人客室乗務員には適用されず、その適用を受けるためにはフランスに住居を定めて正規の労働ビザをとり、フランスを所属基地とする外国人客室乗務員となることが必要である。

(三) 移籍による利点

(1) パリー移籍によつて日本人スチユワーデスの受ける利益は数多くあるが、その主なものをあげると次のとおりである。

(イ) 申請人ら日本人スチユワーデスが長い間その適用を要求してきたSNPNCとの労働協約に基づく労働条件が全面的に適用される。

(ロ) フランス国労働関係法規及びSNPNCとの労働協約に基づき毎月必ず継続した六日間の休息日に三六時間の休養時間を加え、さらに通常の勤務スケール上予定されている休息日数を加えて取得することが可能となり、年次有給休暇の大幅な増加(東京基地の場合は勤務年数に応じて一五日から二二日。これに対しパリー移籍後は年間四〇日のほか、有給休暇を一一月一日から三月三一日までにとつたときは四日につき一日の割増休暇が与えられる。)、並びに東京を寄港地として立寄ることのできる時間等を考えると、現在の東京滞在日数よりふえる可能性がある。

(ハ) 賃金条件が上回ることは乙第一六号証の一から三に記載したとおりである。なお、フランスにおけるフランのもつ実際の購買力が日本円のそれを上回るものとみるべきであるから実質上の収入はさらに向上すると考えてよいし、SNPNCとの労働協約により昭和四八年八月一日から一二月一日までの間すでに四回ベースアツプがおこなわれている。

(ニ) フランス国の社会保障及び被申請人独自の年金制度の適用があり、支給期間は五〇歳から死亡までである。ちなみに勤務年数五年の場合四半期毎に一三五〇フラン、年間五四〇〇フラン(三四万円)であるが、東京基地の五年勤務の場合の退職一時金五二万九二四八円に対しいかに有利であるかがわかる。なお支給率は昭和四九年一月一日以降約八パーセント引き上げられる。

(ホ) 身分上有利な取扱いを受ける。東京基地の場合はあくまで地方職員にすぎないが、パリー移籍によつて終身契約職員となり、さらに資格取得(乙第一九号証参照)の可能性並びにパーサー以上に昇進する途が開かれるし、地上職員への転職がフランス又は日本において可能となる。

(ヘ) 東京滞在期間が出張となり、パリー出張の場合の倍額の出張手当が支給される。

(ト) パリーにおける定期的教育を受ける機会が与えられる。

(チ) 定年は東京基地の場合三五歳、その後は一年毎に更新して四〇歳までであるが、パリー移籍後は四〇歳定年で五〇歳まで更新できる。なお、日本における勤務年数は移籍後はその序列に折り込まれるし、移籍に伴い日本支社との雇用契約が解消するので自己退職の場合の退職金の支給がある。

(リ) フランス国における労働者の力はきわめて強い。そして同国の労働者に対する権利保護は決して日本に劣るものではなく、むしろはるかに進歩しているといつてよいであろう。

(2) 申請人らはパリー移籍によりこうむる不利益をあげるが、いずれもパリー移籍の実態にそわないものである。

(イ) 申請人ら日本人スチユワーデスは現在においてもその大部分の時間をローテーシヨン地又は機上で過し、東京の地上で過す時間は一箇月のうち僅か七日前後にすぎないし、パリー移籍後においても日本を中心とする航路に日本人スチユワーデスが起用される勤務の実態には殆んど変化がないといつてよい。申請人らにとつて大切なことは名目上の居住地すなわちベース(基地)をどこにおくかということではなく、現実に日本で過せる日数が何日確保されるかにある筈である。被申請人はパリー移籍後の日本人スチユワーデスの乗務、休暇等について十分配慮することを提案しているのである。

(ロ) 日本人スチユワーデスの現実の勤務態様はパリー移籍後においても殆んど変化がなく、日本滞在期間にもさしたる変化はない(ただ観念的には出張扱いとなる。)とすれば、パリー移籍についての申請人らの不安・不満は心理的なものはすぎない。国際航空路線に搭乗するスチユワーデスという職業の特殊性から申請人らの主張は理解できない。

(ハ) かねてから申請人ら自らフランス人スチユワーデスと同一労働条件とすることを要求してきており、移籍によつて労働条件についてフランス人と同一になるのであるから、申請人らが移籍反対の理由の一に賃金その他の労働条件の不利益をあげるのは首尾一貫しないものである。

(3) 被申請人は、その従業員の国籍の如何を問わず、労働者の権利はこれを尊重する態度をとりつづけてきており、日本の実情に対しても理解しようと努力してきている。国際化が急激に進行している今日、偏狭なナシヨナリズムやセンチメンタリズムのため、世界にはばたく機会を自ら閉し、同僚や後輩のためにもこれらの職域を狭め、あるいは失うことのないように着意すべきではなかろうか。

(四) 移籍についての交渉経過

申請人ら日本人スチユワーデスのパリー移籍問題については、さきにSNPNCと日本人労組との間において協議がもたれ、原則的には移籍についての諒解がなされたものとみられるが、被申請人と日本人労組との間においては昭和四八年六月一四日及び一五日に交渉をもち、かなり突込んだ話合が長時間なされ、移籍の諸条件についてさらに協議することを確認し、同年六月二一日付労働協約中に「賃金に関する本協約条項は一九七三年四月一日から発効するが。日本人ホステスのパリー配属に関する最終決定までの暫定的なものであり、同決定は日本人労組との交渉の後なされるものである。一九七四年三月三一日までに決定をみない場合はこれらのすべての条項は同日効力を失うものとする」との記載がなされた。右記載の協約条項は明らかに移籍の実現を前提として移籍をおこなうべき時期、移籍の諸条件、特に移籍後の雇用条件を交渉の対象とすべきことが看取される。ついで同年八月二八日から三〇日までの三日間、さらに同年九月一二日から一四日までの三日間の各協議においても、被申請人は本社の責任者を日本に派遣し、移籍の諸条件について詳細に会社側の提案をおこない協議を求めたが、同労組は移籍の条件について話し合うことに反対するとの態度を固執し、移籍問題自体を白紙撤回せよと迫り、全く協議不可能な態度をつくりあげてしまつた。そして同年一〇月二五日には同日に予定された協議について同労組は協議の意思を放棄したとみられ、一時間半も遅れてようやく出席したが、従前同様協議はまつたく進展しえない状態となつた。このような日本人労組の態度は明らかに前記労働協約条項に違反するものというべく、かつ、あまりにも戦術的であり不誠実な態度といわなければならない。

3 解雇の正当性

(一) 被申請人の申請人らに対する昭和四八年一〇月三一日付文書による申入れは、被申請人の外国支社における外国人客室乗務員の事業部門を閉鎖して、全客室乗務員部門をパリーに統合することとした本社決定にもとづいて、日本支社における申請人ら日本人スチユワーデスとの雇用契約解消の申入れすなわち解雇の予告の意思表示とパリーを採用地とする再雇用契約の締結すなわちパリー移籍の申込を同時にしたものである。したがつて、本件解雇の必要性・合理性はすでにパリー移籍の必要性・合理性について述べたとおりである。

(二) 被申請人の外国支社における従前からの外国人客室乗務員は従来どおりその支社を雇用地とする契約関係を存続させながら、昭和四九年一月一日以降新規に採用することとした日本人四五名、中国人一五名及びアラブ人一〇〇名の外国人客室乗務員についてはパリー本社を雇用地とする契約(この場合においてSNPNCに加入すると否とにかかわらず、同労組との労働協約が全的に適用される。)を締結してまつたく異なつた条件で同一労働に従事させることは、その関係をますます混乱に導くことにしかならない。すなわち

(1) SNPNCとの労働協約は、東京ベースのままの日本人スチユワーデスに適用することが技術的にきわめて困難ないし不可能である。同協約付属書に賃金協定があるが、同付属書三条の想定乗務時間の算定、同四条の超過勤務時間の計算など、どれ一つをとつてみても理解しがたいほどの困難を伴うのである。

(2) 乗務時間についてのきわめて厳格な規制は、多くの乗務員を同じ管理下におかなければ到底実行することができない。従来東京ベースの日本人スチユワーデスの勤務時間の規制は比較してかなりゆるやかなものであつたので、少数の乗務員であつても相互に乗務の都合をつけることによつて病気その他予期しない事故による休暇や欠勤にも対応しえたが、厳格な乗務時間の規制は小人数では到底実行できない。しからば東京における客室乗務員の人員をふやせば可能ではないかといわれるわけであるが、経済性を無視して剰員を雇用し、スタンドバイの人員を搭乗員と同数にするようなことを企業に強いることは無理な注文といわなければならない。全体としての飛行時間が増加しないのに人員をふやすなら一人当りの給与はそれに応じて低下せざるをえない。かといつて人員を増加しないで乗務時間の厳格な規制を実施するならば、航空機の正確な運行時間の厳守すら困難となる場合が予想される。

(三) 被申請人は、その業務遂行上不可欠の懸案事である全客室乗務員のパリー統合を実現するため、日本における客室乗務員の業務部門の活動を停止し、閉鎖することとし、同部門における申請人ら日本人スチユワーデスの勤務条件について不利益にならないよう可能な条件を折り込み、十分な配慮の下にきわめて有利な再雇用の条件を提示し、申請人らの日本人労組とも誠意をもつて協議をかさね、かつ、協議を続ける用意をもつて対処して、会社都合による退職をとるか、再雇用を希望するか、いずれかの選択を求めたのである。同労組は被申請人の提示した諸条件をそのまま組合員である申請人らに伝えてその選択に委ねるべきであるところ、協議拒否の戦術をとつて協議の続行を不可能にした。これはきわめて遺憾というのほかはない。

そこで被申請人は申請人らが右の再雇用を選択しない以上、法律の定める手続に従い一定の予告期間の設定と会社都合による退職金の支払とをもつて、申請人らとの雇用契約を終了させるほかになすすべはない。現在日本人スチユワーデスの大幅増員(昭和四九年一月一日以降四五名増員採用決定)を実現しようとして、いずれもパリーを雇用地とする新規採用をしているが、さらにパリー移籍に応じない申請人らと同数の日本人スチユワーデスの新規募集をせざるをえない。

本件解雇は正当というべきである。

4 以上のとおりであるから、本件解雇の予告の意思表示にはなんらの瑕疵も存しないし、その有効なることはいうまでもない。したがつて、右意思表示の効力の停止を求めるいわれはないから、本件仮処分申請は理由がないものとして却下すべきである。

三 証拠<省略>

理由

一 雇用の成立

被申請人が航空運輸事業を目的としフランス国法に準拠して成立した外国会社であること、申請人らが雇用地を東京、配属先を被申請人の日本支社とするスチユワーデスとして被申請人の日本における代表者である同支社長においてその期間を定めないで雇用した日本人であること、被申請人と申請人ら間における雇用契約の成立の日が別表の記載のとおりであること、外国会社である被申請人と日本人である申請人ら間の右雇用契約の成立及び効力に関し準拠法として日本国法を適用するものとしていることは、いずれも当事者間に争いがない。

二 解雇の予告

被申請人が昭和四八年一〇月三一日頃申請人らに対してそれぞれ同日付文書を交付してその雇用契約を同年一二月三一日をもつて終了させる旨の解雇の予告の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

三 解雇の経緯

成立に争いのない甲三号証、乙第一号証から、第三号証まで、第二二号証の一から三まで、第二七号証、証人小林の証言により真正に成立したと認める甲第六号証、第七号証、申請人三上の本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第八号証、第九号証、証人小林及び谷沢の証言により真正に成立したと認める甲第一四号証、証人小林の証言並びに本件弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認めることができる。

1 SNPNCすなわちフランスにおける客室乗務員(スチユワーデス、スチユワード及びパーサー)の職業別労働組合で被申請人の唯一の交渉団体であるフランス全国客室乗務員労働組合は一五年も前から被申請人の外国支社における現地雇用職員たる外国籍客室乗務員をすべてパリー本社雇用に改める(すなわちパリー移籍)の要求をもつていた。それは、SNPNCが被申請人との労働協約の適用を外国籍客室乗務員に及ぼしてこれをSNPNCの影響下におくには、どうしてもパリー移籍が必要だつたからである。昭和四八年にいたつて外国人客室乗務員は日本人のほかドイツ人、ブラジル人あわせて約一〇〇名を数え、うち四二名が日本人スチユワーデスであるが、宿願の全外国人客室乗務員のパリー移籍を実現するには、日本人労組(すなわち被申請人の日本支社における日本人従業員をもつて組織する企業別労働組合エール・フランス日本人従業員労働組合)の昭和四八年春闘の収拾の折が逸すべからざる好機であり、かつ、これ以上遷延させるわけにいかない問題解決の最後の機会であるとして、SNPNCは被申請人及び日本人労組とそれぞれ接触を始め俄然精力的に動き始めた。被申請人も潮時と見て、SNPNCの解決法に原則的賛意を表明した。(原則的合意の成立日時は明確でないが、遅くとも同年五月中旬までである。)この同意は抜き差しならぬ決定的なものであつた。しかし日本労組はそれとは対照的に気乗薄で日時の経過につれてかえつて否定的、警戒的な対応ぶりに傾き、熱心に説得を試みるSNPNCの書記長バルビエを失望させた。それというのも、SNPNCの標榜するフランス人客室乗務員と外国人客室乗務員間にはいかなる差別待遇もあつてはならない、前者の享受するすべての条件は後者にも適用されるべきであるというのはわかるが、そのためにパリー移籍だけがどうして唯一の手段たりうるのか。また国籍の如何を問わない均等待遇の要求も、むしろ従来、被申請人の外国支社で採用された外国籍客室乗務員であることを口実にしてことさらに劣悪な労働条件で雇用してきた被申請人の労務政策がSNPNCに対して必然的に負因に作用しその組合員の経済的地位の向上を相対的に制肘する営みをはたしてきていることへの不満からの発想ではないのか。さらにパリー移籍の要求貫徹のためにストライキも辞さぬといつて憚らないSNPNCの不退転の決意も、実はフランス人客室乗務員が労働条件の擁護のためにストライキを敢行しているときに片方で外国人客室乗務員が勤務に服し結果的にスト破りの役目を果しているという年来の矛盾をもはやこれ以上容認してはならないとする戦略的意欲のあらわれではないのか。懐疑的なこれらの視点から、一見国境を超越した労働者の結束のような装いの下にSNPNCの労組エゴイズムがちらつくようにみえたからである。バルビエ書記長の意欲的説得は、五月一七日付書簡形式で日本人スチユワーデスあて直接に呼び掛けたことといい、また五月三一日にパリー事務所で申請人浜中、平田に対し四時間半に及ぶ長広舌を奮つたことといい、パリー移籍への誘いまことに花花しいものであつたが、ついに彼女らを同意させるにはいたらなかつた。

被申請人は昭和二五年に日本に支社を開設し、昭和二七年にはじめて日本人四名をスチユワーデスに採用した。日本人労組は昭和三〇年に結成され現在組合員数約三〇〇名、うち四一名のスチユワーデスが日本人労組客室乗務員支部を組織して独自の地歩と組合活動の領域を占め組合員の経済的地位の向上に大きく寄与している。日本人スチユワーデスの賃金、休暇その他の労働条件の改善要求がとみに昂まり、フランス人スチユワーデスの労働条件を上回るようなものもあり、フランス本国の労働条件の域に全般的に到達するに数年を要しないという意欲と目標をもつて活溌に組合活動がおこなわれているので、日本支社の業務草創期から二〇年を経過したいまでは、SNPNCの指摘する客室乗務員の差別処遇は政策的にも維持しがたくなつてきたし、事実この小グループ(日本人労組客室乗務員支部)が機会あるごとにしかも根気よく提起してくる待遇改善の種種の要求に対応してゆくのはかなりの負担になつてきた。そこでこれ以上外国人客室乗務員のパリー移籍を遷延させてはストを仕掛けかねないほど追撃急なるSNPNCの積年の要求に応えることにもなり、同時に全外国人客室乗務員をパリーに移籍させることにより、従来の地域別労働組合との団体交渉の必要もなくなつて客室乗務員との労働関係については唯一交渉団体であるSNPNCと交渉すれば足り、したがつて、右小グループのユニークな組合活動をSNPNCの傘下において発展的に解消させる契機ともなろうという一石二鳥を狙い、被申請人は日本人スチユワーデスのパリー移籍を実施する潮時と睨んだ。

2 昭和四八年六月一四日及び一五日に日本人労組の同年の春闘要求に関する団体交渉がかねての約束にしたがつて日本支社で開かれた。これには被申請人側から本社人事課長ドウシエンヌが交渉権限を有する者として出席したが、春闘要求に対する回答に先立つて、予定されないパリー移籍問題をだしぬけに提案してきた。手続上の唐突さはともかく、労使相対する場で被申請人側からこの問題に触れてきた最初である。皮切りにドウシエンヌ人事課長は、SNPNCのバルビエ書記長がオブザーバーとして出席していることについて「SNPNCは一五年前から全外国籍客室乗務員をフランス籍に移すように要求してきた。そこで全外国籍客室乗務員をフランス本国契約としてフランス人と同一の労働条件を与えることについてSNPNCとの間に原則的合意が成立した。この問題の要求をしたSNPNCのバルビエ書記長が出席した機会に必要とあればアドバイスがえられるであろう。」といつて、移籍の具体的条件に関する交渉を提案した。これに対し日本人労組委員長小林靖夫は「被申請人がフランスにおいてSNPNCとの間にどのような協約を結ぼうとそれは被申請人の自由である。しかしその内容がわれわれの労働条件にかかわつてくるものであれば、その部分はわれわれにとつては無効である。被申請人は自らの決定にしたがつてわれわれに申入をおこなうべきである。それに対してわれわれは組織内で検討し、組合員の利益になるかどうかを基準にして、その申入れを受け入れるか否かを決定する。われわれの運命を決定するのはわれわれ自身なのである。」と答えて、日本人スチユワーデスのパリー移籍問題に深入りすることを避けた。またバルビエ書記長とはすでに前日接触したが、物別れの状態で終つたこともあつて、被申請人やSNPNCの思惑どおりにはいかず、バルビエ書記長の助言が出る幕もなく、せつかくの機会が無為に終つた。右両日の交渉により春闘は妥結したが交渉事項でまだ合意に達しなかつたものを継続討議するために再度の団体交渉が同年七月末日に予定された。結局移籍問題については、SNPNCとの原則的合意なるものはまだ協約化されていないこと、及び被申請人は日本人労組に対してまだ正式に移籍問題を提案するまでにいたつていないが、その可能性はあることの二点が明らかにされたうえ、移籍問題に関する資料の説明のために次回に本社における専門家を東京に送ることを約束した。

3 同年六月二一日に日本人スチユワーデスの賃金その他の労働条件に関して同年四月一日に遡つて適用される新しい労働協約がさきの春闘妥結にもとづいて締結されたが、その協約書面末尾に「賃金に関する本協約条項は一九七三年四月一日から発効するが、日本人スチユワーデスのパリー配属に関する最終決定までの暫定的なものであり、同決定は日本人労組との交渉の後になされるものである。一九七四年三月三一日までに決定をみない場合はこれらの条項はすべて同日効力を失うものとする。」との条項が付加された。

4 同年八月二日にパリーにおいて被申請人とSNPNC間に外国籍客室乗務員の採用と乗務に関する協約議定書が調印されたが、その中において「外国籍客室乗務員は本拠をパリーに定める。会社は外国籍客室乗務員各自あて速かに書簡をもつてパリー移籍の一般条件及び補償に関し通知する。地域代表組合が存する場合にはその組合との交渉を経た後に右の条件及び補償について決定する。協約は一九七四年一月一日に完全に発効する。」ものとした協約条項が規定された。日本人労組がこの協約のことを知らされたのは同年八月二八日にいたつて本社客室乗務員担当人事課員リシヤールとの会談においてであつた。なお右協約中の地域代表組合との交渉条項にもとづいて、被申請人は右議定書調印と同時にSNPNCに対して「日本人スチユワーデスをパリーに移籍させる決定の事前に東京において日本人労組との協約にもとづく交渉を開いてその交渉が終了した時点においてはじめて日本人スチユワーデスに対して八月二日付協約議定書を適用するか否かの決定を下すことになる。」旨を通知した。

5 再度の団体交渉が予定より一か月遅れて同年八月二八日に開かれた。移籍問題に関する資料説明の専門家として本社からリシヤール人事課員がやつてきた。同人は自己の出席について「この場に出席しているのは本社決定を組合に正式に通知するためである。」とことわつたうえ「本社は同年八月二日のSNPNCとの協約にもとづいて全外国人客室乗務員を一九七四年一月一日をもつてパリーに移籍させることを決定した。これは本社決定だから取り消すことはできない。わたくしはこの決定の枠内で移籍の具体的手続、フランスにおける労働条件について今明日の二日間日本人労組と話し合いたい。」といつた。そして右の本社決定は九月一五日に日本支社長から申請人ら日本人スチユワーデスに手紙で通知されること、右通知の内容は「同年一二月三一日をもつて日本における雇用契約が終了し、同時にフランスにおける新しい雇用契約を申し入れる。この申入を受諾した者には自己退職の、拒否する者には会社都合の各退職金を支払う。右通知に対する返答は一〇月一五日までとし、同日までに返答のないものは拒否とみなす。」というものであることを明らかにした。これに対し小林委員長は六月二一日付労働協約の「日本人スチユワーデスのパリー配属に関する最終決定は日本人労組との交渉の後になされるものである。」という協議条項を引いて、会社が一方的に移籍を決定したことは納得できないから具体的な話合いには応じられないとして、会談はかなり難航もようになり、リシヤール人事課員からときには「六月当時と八月二日の本社方針の決定以後のいまとでは根本的な変化があるから日本支社長が調印した協約中の協議条項には拘束されない。」とか、「本社としては全外国人客室乗務員を解雇することも可能であつたが、あえてフランスにおける再雇用という方針をとつた。」とかいう発言まで飛び出したりした。やや険しい雰囲気のなかではあつたが、ある程度の資料説明がおこなわれた。小林委員長はリシヤール人事課員に対して各本人あての九月一五日付日本支社長通知の発送をやめること、及び被申請人側の交渉権限を有する者との交渉を早急に開始することを強く要求し、同人は右要求を本社に伝えることを約束した。

6 日本人労組の団体交渉の開始の要求によつて同年九月一二日に被申請人側から交渉権限のあるドウシエンヌ人事課長がやつてきてパリー移籍問題について日本人労組との正式交渉をしようということになつた。まず小林委員長は、いまは「九月二一日に臨時の組合大会を開いてパリー移籍問題につき組合の態度を最終的に決定する。」という段階にあることを明らかにして交渉に臨んだ。ドウシエンヌ人事課長は、日本人スチユワーデスのパリー移籍の提案理由として、各国籍にわたる外国人客室乗務員の諸規則の調整と運航上の必要という二点をあげて説明をした。諸規則の調整とは結局外国人客室乗務員についてもフランス人同様にフランス国法下の労働関係諸法規、とりわけSNPNCとの労働協約が適用される必要があるということで理解に困難はなかつた。しかし、運航上の必要性の点ではどうしてパリー移籍と結びつくのか合点がいかなかつたので、日本人側の真摯な追究が続いたが、説得力を欠く抽象的かつ平板な説明の域を出なかつた。八月末のリシヤール人事課員との会談のときとは打つて変つた穏やかな装いのなかで、ドウシエンヌ人事課長は「SNPNCの要求は二義的理由」といつたり、六月二一日付労働協約中の協議条項については「日本人組合の同意がなければパリー移籍を強行しないという精神であることは認める。」といつたりしながら、強行もありうるかという質問には「答えられない」といつて突つ撥ねた。そして同人は右協約中にいうような最終決定は日本人労組の組合大会による決定のあと被申請人が日本人労組の意向に対して、受容、拒否、協議のいずれかを選択しなければならないものであること、日本人スチユワーデスの各本人あての日本支社長による被申請人の通知は右の最終決定があるまでは発送しないことを明確にした。三日間にわたる協議は一応意をつくしたものとなつたが、基本的な意向の対立による双方の隔たりはついに歩み寄ることがなく、パリー移籍の必要性について日本人労組側のえた理解の程度は、熱心に質疑応答が交わされたのにもかかわらず、心証稀薄にして「全外国人客室乗務員をパリーベースにした方がなにかと会社にとつて便利だ。」というほどのものでしかなかつた。

7 同年九月二一日に臨時に組合大会を開いて日本人スチユワーデスのパリー移籍問題を討議した結果、出席した客室乗務員全員を含め満場一致でパリー移籍について被申請人の提案を受諾しない方針を決定し、同月二五日に日本支社長あてに右決定を通告した。

8 パリー移籍問題に関する団体交渉の最後は一〇月二五日であつた。被申請人側はこの問題で三たび来日したドウシエンヌ人事課長であつた。この日の同人の役目は、すでに本社において一〇月三日にSNPNCに対し「一九七三年八月二日に定めた一般原則にもとづいて(被申請人とSNPNC間で締結された外国籍客室乗務員の採用と乗務に関する協約議定書による)、日本人客室乗務員をパリーに移籍させることに決定した。」旨を通知したことについて、これを日本人労組に通知すること、そして右の移籍決定の適用面につき日本人労組との細目的な詰めを取り極めることであつたが、適用方法の話合いに入ることはできなかつた。そこでドウシエンヌ人事課長は日本人労組側に対し本社予定として「日程上週末にも各本人あて移籍の条件等の説明書を添えた書簡を送る。これに併行して新しい乗務員を雇用して昭和四九年に必要な人員を確保する。」旨を伝えた。小林委員長は、これに対して再考慮を要求したが、容れられなかつたので、ついに「われわれは第三者の力を借りてでも理解させるように行動する。」といつて、被申請人の最終的通告に対する法的救済手続をとるべき旨をきわめて婉曲に示唆した。幕切れは、ドウシエンヌ人事課長が「再雇用か退職か二者択一の選択しかないだろう。」と切口上をいえば、小林委員長が「新しいポストを用意して、それがいやならやめろというのは命令だ。」と切り返すような応酬で終つた。

9 このようにして被申請人は同年一〇月三一日頃申請人ら日本人スチユワーデスに対してそれぞれ書簡形式の同日付文書をもつて「ここに全外国人客室乗務員をパリー配属にするという本社決定を正式に知らせる。したがつて日本における日本人スチユワーデスとの雇用契約を解消し、同時にパリーにおける新しい雇用契約を提案する。移籍の諾否は一一月二〇日までに返答されたい。移籍を拒否された場合、及び期日までに回答がない場合には右期日の日から解雇予告期間に入つたものとみなされ一九七三年一二月三一日をもつて解雇となる。」旨を申し入れた。

以上のように認めることができ、この認定をうごかすに足りる証拠はみあたらない。右認定の事実によれば、さらに次のようにいうことができる。

被申請人における全外国籍客室乗務員のパリー移籍という一斉配置転換は、SNPNCが被申請人に課した年来の宿題であつたが、いよいよその実現を銘銘の思惑と意図による同床異夢の労使提携によつて指向するにいたつた。ドウシエンヌ人事課長は日本人労組との交渉席上でパリー移籍の必要性に関連して「SNPNCの要求は二次的理由」であるといつているが、この発言は、日本人労組との団体交渉の場においてSNPNCの役割をことさらに過小評価しようとした意図によるものであり、また、ドウシエンヌ人事課長がSNPNCの書記長バルビエを同席させた際、日本人労組の小林委員長が同人事課長に対して「パリー移籍の提案は被申請人が自らの決定によつて日本人労組になされるべきものである。」と指摘したのも、移籍問題の仕掛人的存在であるバルビエ書記長の動きに対する懸念から出たものであろう。しかし、日本人労組の憂慮をよそに、事態はSNPNCの筋書通りに進展して、SNPNCが被申請人から原則的合意を取り付けたこと(遅くとも五月頃)から、八月二日付協約議定書の調印を経て、最後には被申請人が申請人ら日本人スチユワーデスに対して「再雇用か退職かの二者択一」を迫つて一〇月三一日付書簡による解雇予告となつたとみることができる。

四 解雇の効力

1 申請人らがパリー移籍には応じまいとしてその諾否の返答の期日である昭和四八年一一月二〇日を徒過した(このことは当事者間に争いがない。)ことにより、本件解雇の予告の意思表示は、申請人らに対して右期日から解雇の予告の期間に入り、まえに認定したとおり、同年一二月三一日をもつて解雇の効力を生ずべきものとしてなされたというべきである。

本件パリー移籍は、日本人スチユワーデスの雇用及び配属地を東京からパリーに変更するために、従前の雇用契約を終了させると同時に新しい雇用契約を成立させるという手続がとられたが、再雇用の成立するかぎりにおいて実質上の転勤すなわち配置転換にはほかならない。ところが、申請人らが東京を雇用地とし、被申請人の日本支社を配属先とするスチユワーデスとして期間を定めないで被申請人に雇用されたものであることは当事者間に争いがないから、その雇用契約上勤務地は東京と特定されているのである。したがつて、被申請人は申請人らに対してその雇用地又は配属地を東京以外の場所に変更する転勤その他の配置転換を命ずることができないし、申請人らは自己の意思にもとづくのでなければ東京以外の場所にその雇用地及び配属地を変更されることがないというべきである。申請人らはその雇用契約上右のような地位を有するものであるが、さらに、成立に争いのない甲第二号証の一、二、乙第一六号証の一から三まで、第二八号証並びに本件弁論の全趣旨をあわせると、日本人スチユワーデスの採用条件は、年令二〇歳以上二七歳未満の日本人女で独身者であること、フランス語又は英語のいずれか一か国語を完全に話すことができ、かつ、他の一か国語につき実用に供しうる程度の知識を有すること、被申請人が行なう選考試験並びに指定医による健康診断に合格することであり、試用期間六か月、一おう三五歳をもつて定年とするが、四〇歳まで一年毎に更新することができるものとし、解雇事由につき就業規則は、服務上の義務違背にもとづく制裁たる解雇(これはさらに予告を伴うものとそうでないものの二段階がある。)を規定するだけであり、年収は在職一年(平均二四歳)で四万八一四二フラン、同六年で五万四九六二フラン、同九年で六万四九〇フラン(標準レート一フラン=六二円三一銭換算三七六万九一三九円)であることが認められるから、申請人らの雇用契約上の地位は比較的に高く、かつ、安定したものということができる。しかも、日本人女にとつて、英仏二か国語につき一か国語を完全に話すことができ、他の一か国語につき実用に供しうる程度の知識を有することを要求されることは、その習得の努力及び困難において英米仏人と同日の談ではなく、入社競争率においても、被申請人をはじめノース・ウエスト、BOACなどの一流外国航空会社のスチユワーデスへの関門を通ることが、ときには三〇倍を越える狭き門となつていることは当裁判所に顕著な事実であるから、申請人らが被申請人会社のスチユワーデスとしてその雇用関係上有する右地位及び利益は、もとより被申請人が与えたものではあるが、同時に自己の刻苦勉励に負うものであり、かつ、既得のものというべきである。したがつて、被申請人は、申請人ら日本人スチユワーデスがパリー移籍に応じない場合においても、みだりに右既得の地位及び利益を一方的に奪うことを許されないものといわなければならない。

被申請人は「申請人らが再雇用を選択しない以上、申請人らとの雇用契約を終了させるほかない。」といつて解雇の自由を志向するもののような主張をする。すでに認定したところであるが、本件パリー移籍問題に関する交渉及び会談の場で日本人労組側に向つて、ドウシエンヌ人事課長が「再雇用か退職か二者択一の選択しかない。」とうそぶき、リシヤール人事課員が「本社としては全外国人客室乗務員を解雇することも可能であつたが、あえてフランスにおける再雇用という方針をとつたのだ。」と言い放つ。また「法律に従い」解雇の予告と補償(退職金)を支払う以上解雇は有効であるという趣旨のものが本件訴訟資料で被申請人の提出に係るもののなかに散見される。これらは、いずれもその基調を一にして、解雇の自由の原則に立つものであり、法の適正な手続に従うかぎり解雇を正当とするものである。ここで解雇の自由についてかれこれ論ずるつもりはない。ただ本件においては、被申請人と申請人ら間の本件雇用契約の成立及び効力に関しては日本国法を準拠法とすることにつき当事者間に争いがないが、被申請人がフランス国法に準拠して成立した外国会社であるので、以下にふれる程度にとどめる。日本国法のもとにおいても、解雇の自由は存する。しかし、権利の乱用は許されないから、解雇の自由の範囲は広くない。使用者の解雇権の行使は、労働者の雇用関係上の地位と利益の保護のために、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものとするのである。すなわち、講学上にいう解雇権乱用の法理が認められているが、この法理はわが国において判例上定着したものということができる。

2 申請人ら三三名の者がパリー移籍に応じなかつたことにもとづいて一斉に本件解雇がなされたが、パリー移籍を応諾すべき雇用契約上の義務が申請人らに存しないことがすでに明らかであるから、本件解雇の性格は、解雇の経緯に関する前記認定事情に照らして、その果断強行性において会社倒産、事業場閉鎖等に伴ういわゆる整理解雇に似た面を呈するものというべきである。しかし、弁論の全趣旨によれば、被申請人の場合においては、事業の伸長がめざましく、外国人客室乗務員は現在の約一〇〇名のほか昭和四九年一月一日以降さらに一六〇名(内訳日本人四五、ドイツ人一五、アラブ人一〇〇)を増員することを決定しているほどであることが認められるから、本件解雇はただ果敢さ、強行さの故をもつて整理解雇的属性を有するものといわなければならない。

ところで、被申請人は、本件解雇の理由として、パリー移籍の必要性及び合理性にもとづいて外国人客室乗務員に適用すべき諸規則(労働契約が主たるものである。)の調整及び運航上の必要をあげるけれども、被申請人と外国支社における地域労働組合間において客室乗務員のパリー統合後に適用すべき労働協約の各規定と同一内容のものを協定することができるわけであり、また、成立に争いのない乙第六号証によると、在日主要外国航空会社で被申請人同様いわゆる東京ベース制(東京を基地にして東京で雇用した日本人スチユワーデスを配属させる。)を採用しているものに、ノース・ウエスト、BOAC、アリタリヤ及びスカンジナビヤ航空の各社があることが認められ、また被申請人自身昭和二七年いらい東京ベースを一貫して維持しているのであるから、反対の事情のないかぎり、被申請人をはじめこれら主要外国航空会社はいずれも東京ベース制によつて業務の正常な運営をはたしているとみるのほかはないし、パリーに移籍したからといつても、スチユワーデスの勤務の特殊性から、ただ名目的に配属根拠地(基地又はベースともいう。)がパリーに変るだけのことであり、勤務の態様及び生活の実態等にさしたる変化をきたすものでないことが本件弁論の全趣旨によつて認められる。したがつて、被申請人の主張する解雇の理由はにわかに首肯しがたいものというべきである。

また、被申請人は、本件解雇は被申請人の外国支社における外国客室乗務員部門の事業閉鎖に基因するとも主張する。しかし、被申請人の企業組織中の一部の事業閉鎖といつても、被申請人も自認するとおり、被申請人の航空運輸企業を全体的にみてその人的機構、物的設備及び業務量に縮減をきたすものではなく、たんにパリー移籍のことを意味するにすぎないから、被申請人のいうところは類語反覆に陥入るものというべきである。

3 以上の理由によれば、被申請人が申請人らに対してそれぞれ昭和四八年一〇月三一日付文書を交付して申請人らとの各雇用契約についてしたその「雇用契約を同年一二月三一日をもつて終了させる」旨の解雇の予告の意思表示は、パリー移籍の動機的事情並びに解雇の理由に照らして、到底客観的に合理的な理由が存するものとはいえないから、解雇権を乱用したものとして無効と解するのが相当である。したがつて、被申請人と申請人ら間の各雇用契約は右の解雇の予告により同年一二月三一日をもつて終了することはありえないというべきである。

五 保全の必要

申請人らとの各雇用契約がいずれも本件解雇予告により昭和四八年一二月三一日をもつて終了するものとして、被申請人が申請人らに対して昭和四九年一月一日以降における雇用契約上の地位を認めないことは当事者間に争いがなく、被申請人はフランス国営の航空会社であり、申請人らはいずれも同会社に雇用されたスチユワーデスである。このような事情のもとにおいては、特段の事情のないかぎり、申請人らは著しい損害をこうむる虞れがあるから、本案判決が確定するまで、申請人らが右の雇用契約上の地位にあることを仮に定める必要があるといわなければならない。

よつて、申請人らの本件仮処分申請は、被保全権利及び保全の必要性について疎明があるものというべきであるから、申請人らに保証を立てさせないで、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

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